2024/07/30

パワプロ2024 上原浩治(1999) パワナンバー

上原浩治 #19
東海大学付属仰星高等学校-大阪体育大学-読売ジャイアンツ (1999 - 2008)-ボルチモア・オリオールズ (2009 - 2011)-テキサス・レンジャーズ (2011 - 2012)-ボストン・レッドソックス (2013 - 2016)-シカゴ・カブス (2017)-読売ジャイアンツ (2018 - 2019)
1998年 ドラフト1位(逆指名) 5億円+功労金1億2000万
 
1999年成績 25試合 197.2回 20勝 4敗 防御率2.09 179奪三振
最多勝 最優秀防御率 最多奪三振
新人王 ベストナイン ゴールデングラブ
沢村賞

正確無比なコントロールで数種類のフォークボールを自在に操る「雑草魂B」
ルーキーイヤーである1999年は先発投手としていきなり20勝を挙げ最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ、沢村賞と投手タイトルを総ナメにした。 
自身を雑草に喩えた「雑草魂B」という言葉は松坂大輔の「リベンジ」と共に1999年の流行語大賞に選ばれた。 
 
パワナンバー
11600 00037 71324

 

雑草魂B
「男村田」「番長清原」とほぼ同義の言葉だが試合中の修正力が素晴らしかった。

抜け球
ルーキーイヤーからストレートはある程度シュート回転がかかっている。 
ナチュラルシュートというほどではない。


軽い球 一発 対ランナー×

無走者時.201 走者一塁時.269

WHIPでは常にスーパーエース級の数字を残す上原だが、被本塁打など効率的な失点が多く(ラビット環境を考慮しても)WHIPと比べると防御率は高すぎるぐらい高かった。
過剰にも見えますがこれぐらいはあっていいと思います。
 
一応書いておくとこの年の被本塁打率は低かった。
 

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2024/07/29

パワプロ2024 松坂大輔 パワナンバー

松坂大輔 #18
横浜高等学校-西武ライオンズ (1999 - 2006)-ボストン・レッドソックス (2007 - 2012)0ニューヨーク・メッツ (2013 - 2014)0福岡ソフトバンクホークス (2015 - 2017)-中日ドラゴンズ (2018 - 2019)-埼玉西武ライオンズ (2020 - 2021 )

2005年成績 28試合 215回 14勝 13敗 防御率2.30  226奪三振
最多奪三振 ゴールデングラブ

大物が揃う黄金世代を冠する「平成の怪物B」 
甲子園決勝でノーヒットノーランを達成するなど圧倒的な活躍で横浜高校を春夏連覇に導いた。
3球団競合の末西武ライオンズに入団すると1年目からローテーションでフル回転し高卒新人ながら16勝を挙げ最多勝を獲得する活躍を見せた。
2005年は投手として円熟。3年連続最優秀防御率こそ逃したものの、自己最多となる驚異の15完投を記録。ネックだった与四球も減らし充実の年になった。
 
パワナンバー
11400 30027 62276
 
 
査定について
そろそろ公式松坂のスライダー2種が浸透してきた感があるのでそれに倣っています。
また、スライダーPでありながらも、逃げるチェンジアップBで左打者を封じていたのでサークルチェンジも2から3に強化。
ジャイロボールはありません。
 

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パワプロ2024 茂野英毅(MAJOR) パワナンバー

茂野英毅 #17
横浜マリンスターズ-福岡イーグルス-横浜マリンスターズ

本田茂治の親友で、高校時代には茂治の控え投手だった。
プロ入り後は一躍横浜のエースとして覚醒。茂治の打者転向前年には最多勝を獲得し、翌年には最優秀防御率のタイトルを獲得。
故障で引退を決意していた茂治に打者転向を勧め、打者転向のテストでは完投の翌日でありながら対戦投手として真剣勝負を挑んだ(結果は3打数1ホーマー)
トレードで福岡へ移籍後も活躍を続け晩年には再び横浜へ復帰。背番号17は球団の永久欠番になっている。(本人は義理の息子の吾郎に譲るつもりだったが吾郎はメジャーへ渡ったので夢は叶わず)

W杯では日本代表の投手コーチ兼ヘッドコーチに就任した。

パワナンバー
11200 70087 53784


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パワプロ2024 本田茂治(MAJOR) パワナンバー

本田茂治 #44

『MAJOR』主人公、茂野吾郎の実の父。事実上『MAJOR』初期の主人公でもある。

高校時代には甲子園で活躍した投手だったが、プロ入り後は1軍2軍を往復する平凡な一軍半の選手に。
妻の千秋に先立たれてからの無茶な練習が祟り故障後は1軍に上がれない日々が続き、追い打ちをかけるように肘を故障し引退も考えたが
球団事務所に押しかけてお父さんをクビにしないでと懇願する吾郎のために野手転向を決意。

球団のエース投手である茂野との3打席勝負で本塁打を放ち野手転向を掴み取り、以降は代打を中心に本塁打を量産。
年が明けたシャイアンズ戦ではスタメンで起用され、チームが手も足も出なかったMLBの大エース、ジョー・ギブソンから本塁打を放ったが、次の打席で頭部に死球をもらい転倒した際後頭部にバットが直撃。
しばらくは平気な様子を見せてプレーしていたが、翌朝に頭蓋内血腫のため31歳で死去した。

パワナンバー
11500 70067 51736



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