2018/08/13

パワプロ2018 2001近鉄2軍投手詰め合わせ











タイトルに2軍選手詰め合わせと書いてますが普通に1軍投手も入ってます。



山崎一玄(30)
静岡県立静岡高等学校-阪神タイガース (1991 - 2000)-大阪近鉄バファローズ (2001 - 2002)

制球力抜群の投手。山崎一玄・北川博敏・湯舟敏郎とともにトレードで移籍し近鉄で1年プレーし引退した。
その1年で近鉄通算3000勝目を挙げた投手になっている。

94年にプロ初完封を達成したが、試合中に解説の江川卓からバッティングピッチャーのようなボール、
高校野球で二番手の野手が投げているようなどと酷評され本人の知らないところで物議を醸した。


高木康成(33)
静岡県立静岡高等学校-大阪近鉄バファローズ (2000 - 2004)-オリックス・バファローズ (2005 - 2009)-読売ジャイアンツ (2010 - 2014)

近鉄に高卒D2位で入団。
2年目となる2001年は5試合に登板し1先発で防御率は14.21。初勝利を記録した。
近鉄消滅後は2007年にオリックスで54試合に登板し防御率2.62を記録。
木佐貫とトレードで2010年に巨人へ移籍し左のリリーフとして活躍した。

2015年より巨人の2軍サブマネージャーに就任



関口伊織(40)
埼玉県立大宮工業高等学校-東洋大学-日本通運-横浜ベイスターズ (1996 - 2001)-大阪近鉄バファローズ (2001 - 2004)

新天地近鉄で53試合に登板した左のリリーバー。
テークバックがかなり背中側の方に入るのが特徴。





湯舟敏郎(15)
興國高等学校-奈良産業大学-本田技研鈴鹿-阪神タイガース (1991 - 2000)-大阪近鉄バファローズ (2001)

90年代阪神の先発ローテーションを長年支えた先発投手。史上58人目のノーヒットノーラン達成者
2000年オフに山崎一玄・北川博敏・湯舟敏郎とともにトレードで移籍し1年で引退した。

現役時代は打たれても抑えていても、感情を表情に出さず、常に穏やかな表情でマウンドに上がっていたことから「球界屈指のポーカーフェイス」と呼ばれた。



香田勲男(12)
長崎県立佐世保工業高等学校-読売ジャイアンツ (1984 - 1994)-大阪近鉄バファローズ (1995 - 2001)

一時期は巨人の主力先発として活躍した右投手。近鉄後期はリリーフに転向。リリーフの柱として活躍した。
現在な阪神タイガースの投手コーチ。

ダイジョーブ博士の元ネタでもあるフランク・ジョーブ氏の手術を受けたことがあり
日本シリーズ登板の際は観戦にきていたらしい



柴田佳主也(13)
兵庫県立明石高等学校-阿部企業-大阪近鉄バファローズ (1991 - 2001)-日本ハムファイターズ (2002)-阪神タイガース (2003)-福岡ダイエーホークス (2004)

左のワンポイントとして活躍したサイドスロー投手、
「連続登板機会敗戦なし」のプロ野球記録保持者(235試合)。

20001年は選手会副会長を努め42試合に登板したが球団の若返り政策により戦力外通告を受ける。
その後日本ハム、阪神、ダイエーと1年づつ各球団を渡り歩いた。

通算259試合で唯一の黒星は1球敗戦

 
    真木
        「プロ野球生活はどうでしたか? 柴田さんと言えば、プロでの初黒星が1球で敗戦投手になったって言う珍しい記録も持ってますもんね?」

    柴田
        「そうだな。しかも結局14年現役をやったんだけど、その1敗が現役生活唯一の敗戦なんだよ。引退してからはあの1球がメチャクチャ後悔してるんだ。どうせなら、プロ野球人生で1敗もしてないって言えれば良かったのにな~って。
        今でもその1球って覚えてるんだけど、マウンドに上がってから何を投げようか迷ってしまったんだよ。それがダメだったと言うか後悔の原因だね。俺みたいなワンポイントで行くピッチャーなんて、ハッキリ言って1球勝負なんだよ。初球で決まるみたいな。その初球を迷ってるようじゃ勝てるケンカも勝てないよな」

    真木
        「やっぱりそういう時の事ってハッキリと覚えてるもんなんですね?」

    柴田
        「ハッキリと覚えてると言えばもう1つあって、当時オリックスにいたイチローだね。イチローも左だったからよく対戦はしてたんだけど、ある時、完全に打ち取って平凡なファーストゴロだったんだ。別に一塁手がミスをしたわけでもないし、俺がファーストベースカバーに遅れた訳でもないのに、ベースカバーに走ってボールをトスしてもらってる俺の背後から、ものすごい勢いの足音が聞こえて駆け抜けられて、結局それがセーフになったんだよ。あの、後ろから聞こえたものすごい勢いの足音、あれも今でも覚えてるね。 当時の投手コーチに、ベースカバーが遅かったですか?って聞いたら、いや遅くなかった、イチローが速すぎたんだって怒られもしなかったんだ」




石毛博史(17)
銚子市立銚子高等学校-読売ジャイアンツ (1989 - 1996)-大阪近鉄バファローズ (1997 - 2002)-阪神タイガース (2003 - 2005)-大阪ゴールドビリケーンズ (2010)-06BULLS (2016)

巨人時代は2年連続で最多セーブを記録。最速154kmのストレートと縦に落ちるスライダーのコンビネーションで活躍した。
近鉄移籍当初は先発に転向するも思うような成績は残せなかった。



盛田幸妃(21)
函館大学付属有斗高等学校-横浜ベイスターズ (1988 - 1997)-大阪近鉄バファローズ (1998 - 2002)

横浜時代は佐々木主浩とともに「ダブルストッパー」として活躍した
現役中に脳腫瘍が見つかったことで一度はプロ生活を絶望視されるも、懸命なリハビリによって再びマウンドにカムバックを果たしたことから「奇跡のリリーバー」と呼ばれた。

近鉄へトレード移籍後の2001年は3年ぶりに30試合以上に登板したが防御率は7.06と奮わなかった。

2015年10月16日午前、転移性悪性腺腫のため死去。45歳没。




三澤興一(26)
帝京高等学校-早稲田大学-読売ジャイアンツ (1997 - 2001)-大阪近鉄バファローズ (2001 - 2003)-読売ジャイアンツ (2004)-東京ヤクルトスワローズ (2005 - 2006)-中日ドラゴンズ (2007)-ゲーリー・サウスショア・レイルキャッツ (2008)-ロングビーチ・アーマダ (2009 - 2010)

シーズン途中に巨人から近鉄へトレードされ主にビハインド中心に登板。
ゲームを立て直して打線の奮起を促し逆転を呼び込むことが多く、リリーフでありながら7勝を挙げる活躍でこの年の近鉄のリーグ優勝に大きく貢献した。
その後もリリーフ陣の一角として近鉄ブルペンの一角を担った


加藤博人(49)
八千代松陰高等学校-ヤクルトスワローズ (1988 - 2000)-大阪近鉄バファローズ (2001)-台北誠泰太陽 (2002)

落差の大きなカーブを武器にして1年目からヤクルトの先発として防御率2.83の好成績を残した。
以降は故障が相次いだが97年には左の中継ぎエースとして60試合に登板し防御率1点台を記録するなど随所で活躍した。
だがキャリアで見るとその年が最後の輝きで、以降は全ての年度で防御率8点台を上回る結果に。
2001年に金銭トレードで近鉄へ移籍したが結果を残せず、2軍でも防御率11.12と精彩を欠きオフに戦力外通告を受けた。

引退後は長年独立リーグのコーチとして活動。
2017年から独立リーグ新潟アルビレックスBCの監督に就任。


宇高伸次(29)
PL学園高等学校-近畿大学-大阪近鉄バファローズ (1999 - 2003)-横浜ベイスターズ (2004)

98年にドラフト1位指名を受けたサブマリン投手。
大学では大学選手権2連覇、ノーヒットノーラン、40イニング連続無失点と華々しい成績を残したがプロではパッとしなかった。
藤井彰人とは大学で黄金バッテリーを結成した仲でともに近鉄に1位、2位指名された。



山本省吾(18)
星稜高等学校-慶應義塾大学-大阪近鉄バファローズ (2001 - 2004)-オリックス・バファローズ (2005 - 2010)-横浜DeNAベイスターズ (2011 - 2012)-福岡ソフトバンクホークス (2013)

2000年ドラフト1位で近鉄に入団。近鉄、オリックス、横浜、ホークスの4球団を渡り歩いた。

趣味がパソコンというだけで頭脳明晰とメディアに持ち上げられていたらしい。



ウィル=フリント(51)
フォートヘイズ州立大学-俊国ベアーズ (1993 - 1994)-兄弟エレファンツ (1997 - 1998)-ベンド・バンディッツ (1998)-トライシティ・ポッセ (1999)-ナシュア・プライド (2000)-大阪近鉄バファローズ (2001)-ソラノ・スティールヘッズ (2002)

「15勝は固い」と梨田監督に言われた緩急を評価された外国人左腕だが
1登板0.1回ノックアウト防御率27.00の成績でバーグマン、パウエルと入れ替わる形でシーズン途中に日本を去った










古池拓一(47)
香川県立坂出商業高等学校-松下電器-中日ドラゴンズ (1993 - 1999)-大阪近鉄バファローズ (2000 - 2001)

中日ドラゴンズに6位指名を受け入団したサイドスロー右腕。95年は6勝を挙げ、99年オフにトレードで近鉄へ移籍した。
2軍では防御率1点台を記録するなど活躍していたが2001年限りで現役引退。



奈良将史(52)
滝川第二高等学校-東北福祉大学-大阪近鉄バファローズ (2000 - 2002)

スリーク寄りのサイドスローから150km超えの速球を繰り出す中継ぎとして1年目から中継ぎで33試合に登板したが
翌年以降は故障により2試合の登板に留まり、わずか3年で解雇された。
12球団合同トライアウトでは故障明ながら150km台の速球を披露したが採用球団はなし。


宮本大輔
延岡学園高等学校-大阪近鉄バファローズ (2000 - 2004)-オリックス・バファローズ (2005 - 2009)

99年にドラフト1位指名を受け近鉄の未来のエースとして期待された好素材だったが
ルーキーイヤーから相次ぐ故障に悩まされ続けついに大成することはなかった。

現在は大阪心斎橋にある飲食店「ダイニングミヤモト」の店長




玉峰伸典(57)
早鞆高等学校-大竹総合科学専門学校-王子製紙米子-王子製紙春日井-読売ジャイアンツ (1999 - 2001)-大阪近鉄バファローズ (2001 - 2002)

巨人にドラフト6位で指名。江川卓の背番号30を背負うなど期待を受けたが2年目には60番に変えられた。
2001年途中に近鉄にトレードもプロ1軍登板は一度なく引退。



松本拓也(59)
日本航空高等学校-大阪近鉄バファローズ (1999 - 2003)

150kmの直球と切れ味鋭いスライダーで抑え候補として期待されたが肘の故障で2003年に退団した。
引退後はテレビ制作会社へ就職。
朝日放送の『おはようコールABC』にてディレクターを担当していた。



藤崎紘範(60)
宮崎第一高等学校-大阪近鉄バファローズ (1999 - 2004)-東北楽天ゴールデンイーグルス (2005 - 2007)

緩急を駆使して打たせて取る軟投派の右腕。
近鉄時代は開花することはなかったが、楽天に入団すると開幕ローテーションにも入り(この時の試合が0-26のアレ)それなりに投げた。
娘の名前は藤崎詩織




ユウキ(64)
杜若高等学校-大阪近鉄バファローズ (1998 - 2001)-オリックス・バファローズ (2002 - 2008)-東京ヤクルトスワローズ (2009 - 2010)


本名は田中祐貴
特徴的な登録名で割と有名人。代名詞は超スローボール。高卒2年目からローテーションに食い込み5勝を挙げる活躍を見せるも
2001年オフにFAの人的補償でオリックスへ移籍。近鉄に対して「ボロボロのギッタンギッタンにして見返してやりますよ」とコメントを残した。

その後のオリックス~ヤクルトでは結構活躍。
土曜日に7連勝したことで「サタデーユウキ」と呼ばれた。
引退試合での「一億で壊れない肩」発言など地味に名言が多い




吉川勝成(99)
天理高等学校-龍谷大学-大阪近鉄バファローズ (2000 - 2004)-オリックス・バファローズ (2005 - 2008)

主力球種は右打者の内角に食い込むシュートのサイドスロー右腕
2004年には50登板防御率2点台の好成績を残し選手分配時にはオリックスにプロテクトされた。

引退後は焼肉屋を開業。2015年には食パンだけのパン屋をオープンした。

元近鉄、オリックスの吉川勝成さん「食パン一本で勝負」








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