2018/03/11

パワプロ2016 ゲイル・ホプキンス パワナンバー

ゲイル・ホプキンス(6)
ペパーダイン大学-シカゴ・ホワイトソックス (1968 - 1970)-カンザスシティ・ロイヤルズ (1971 - 1973)-ロサンゼルス・ドジャース (1974)-広島東洋カープ (1975 - 1976)-南海ホークス (1977)

1975年成績 .256 33本 91点

広島カープの初優勝にクリーンナップとして貢献した強打の一塁手。
元々メジャーリーグの選手だったが、野球選手の寿命の短さに不安を覚え「医師として社会に貢献しよう」と、メキシコの医学校に進学を考えていたところを当時のカープ監督、ジョー・ルーツから熱心に誘われカープへ入団。
ホプキンスが一塁を希望したため、それまで一塁を守り続けていた衣笠がサードに転向することになったが、体のあちこちを痛めても全試合出場し、時間があれば医学の勉強を欠かさず、広島の研究室に通うホプキンスの姿を見て衣笠はホプキンスを友人として尊敬していた。

元々生粋のホームランバッターというタイプの選手ではなかったが、パワーヒッターを求める広島のチーム事情に合わせて打撃を改造して75年は優勝を決定づける3ランホームランも含めて33本塁打を放った。

76年のシーズンが終わるとすぐに医大に入学し、引退して8年後に整形外科になった。60歳からはキリスト教系の大学で生物学の教授も務め、大学時代に定めた、野球選手になること、医者になること、宣教師になること。という目標を3つとも達成した。

パワナンバー
11100 90675 29415




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「日本でも、まちがいなくスカラー・アスリート(秀才アスリート)になれたと思う選手に何人か会った。頭脳はまったく問題がなかった。ただ、彼らは野球しかやっていなかった。ちょうど会社員みたいだね。昼も夜も会社に身をささげ、家族との楽しい生活を犠牲にしても仕方がないと思い込んでいる人たちだよ」

「日本のチームメイトも友人も、バランスの取れた生活を送っているようには見えなかった。すべてのエネルギーを、たった1つの目標に注ぎ込んでいるみたいだ。悲しいことだね。神様は、すべての人にさまざまな才能を与えてくださっているのに。与えられた才能のすべてを最大限に生かすことは、僕たちの義務なんだ」



ミトー
75年は打率.256だが、翌年は.329という高打率を残す
まあこの辺の数値にしとけば上振れと下振れで近い数値が出るだろうという狙いです。


粘り打ち
この年は「三振が少ない」というとちょっと微妙だが、元々三振は少ないタイプなのと、優勝を決定づけた3ランホームランがフルカウントから放ったものなのでアレしました。







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