作新学院高等部-法政大学-作新学院職員-阪神タイガース(1979)-読売ジャイアンツ(1979 - 1987)
高校時代からその圧倒的な球威で「怪物くん」「怪物江川」と呼ばれ、日本中の注目を浴びた大スター投手……。だった。
一度投げればノーヒットノーラン、完全試合を連発。作新学院のチーム打率は2割6分1厘ほどで、2年夏の県予選では作新学院が1点でも取っていれば4試合全てをノーヒットノーランで決勝進出という快挙を成し遂げるところだったが、結局点は取れず江川は11回にサヨナラ負けを喫した。
地区予選、甲子園ともに圧倒的な成績を残し続けたが、作新学院が江川のワンマンチームだったがためにここ一番で勝ちきれず、同世代を圧倒する実力を持ちながらも甲子園優勝を果たすことは出来なかった。
進学した先の法政大学でも数々の伝説を作り上げ、未来の大スターとして期待されたが、悪名高き空白の一日事件を機に一転。球界の未来を背負う大人気投手は日本中からバッシングを受けるヒールになった。(江川るという言葉が生まれるほど)
パワナンバー
13200 80317 64684
画像ファイル置き場
コントロール
プロでの全盛期は与四球率0.82を記録するなど安定したコントロールが光る投手だったが、高校時代やプロ入り1年目は結構四球を出してる。
つまり高校要素です。
負け運
圧倒的なピッチングを披露していた江川だったが、打線の援護には恵まれず要所では敗戦を喫した。
ムード×
高校時代はあまりに圧倒的な実力と人気故にチームが勝っても取り上げられるのは江川だけ。
本人のお世辞にも褒められたものではない性格も相まって、江川とチームメイトとの間には決定的なミゾがあった。
負け運の補強でもあります。
OB収録のパワターがおじいちゃん顔なのでパワターはマイナーチェンジ……。
と思ったけど高校時代からおじいちゃん顔だったのでデフォそのままです。
江川卓 1971年 高1 16歳 1972 高2 17歳 1973 高3 18歳
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