安仁屋宗八 24歳 #16
沖縄高等学校-琉球煙草-広島東洋カープ (1964 - 1974)-阪神タイガース (1975 - 1979)-広島東洋カープ (1980 - 1981)
1968年成績 57試合 313.1回 23勝 11敗 防御率2.07 奪三振237
当時アメリカ占拠下にあった沖縄の出身者として初めてプロ野球選手となり「元祖沖縄の星」となった選手。
沖縄出身らしく超がつく酒豪で痛風で入院したりリリーフ時代は二日酔いで6・7回までリリーフカーで寝ていたり脳腫瘍で入院していた津田を見舞いに行くとほとんど口もきけない状態だった津田が「あにやさん、のみすぎんように」とつぶやいたエピソードなど酒豪話には事欠かない。
沖縄出身らしく超がつく酒豪で痛風で入院したりリリーフ時代は二日酔いで6・7回までリリーフカーで寝ていたり脳腫瘍で入院していた津田を見舞いに行くとほとんど口もきけない状態だった津田が「あにやさん、のみすぎんように」とつぶやいたエピソードなど酒豪話には事欠かない。
投手としてはサイドスロー気味のフォームからスライダーとシュートを投げ分けるピッチングが持ち味だった。
68年は先発中継ぎ問わず回転しキャリアハイとなる23勝をマーク。投球回も300を超えたが前述の不摂生もあり翌年以降は成績を落としたが、それでも通算655登板 119勝は見事な数字だ。
引退後は開幕前にポジティブな勝ち星予想を行う安仁屋算が有名だ。
10200 40056 22177
査定
対左F
この球種構成で左打者に有利に立てる投手は存在しませんが当時は左打者のレベルも高くないので実際の被打率はそこまで隔離がないかもしれません。
この球種構成で左打者に有利に立てる投手は存在しませんが当時は左打者のレベルも高くないので実際の被打率はそこまで隔離がないかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿